らくだの涙
英題:The Story of the Weeping Camel
監督:ビャンバスレン・ダバー、ルイジ・ファロルニ
2003年/ドイツ
一体どうやって撮ったんだろう・・・。
こう考えずにはいられない映画だった。
モンゴル南部、ゴビ砂漠に暮らす遊牧民の家に、ある日白いラクダが生まれる。
しかしラクダの母親は、子供を育てようとしなかった。
そこで解決策がとられたのだが、それは町から馬頭琴の奏者を呼び、その音色と歌声を母ラクダに聞かせることだった。
・・・と、ストーリーを述べると本当に簡単。
しかし、「こんなにいい映画を見るのは久しぶりだ」と思った。
その予感は、最初のほうに登場するゲル(モンゴルのテント)内部のワンシーンを見たときからあった。
若い母親が慌しくゲルの中に入ってきて、自分の娘をひもで結び、近くにいる母親に見ていてくれるよう頼む。小さな女の子は火のついたように泣き出す。そして孫をなだめる老婆・・・ただそれだけのシーン。
しかしそれが、演技している感じがなくとても自然だった。色鮮やかな家具が置かれたゲル内部の空間は、伝統的な暮らしからくる落ち着きと安らぎ、そして深い美を醸し出していた。ストーリー的には何の重要性もない場面に、しょっぱなから感動してしまった。
これはモンゴル人でなくて、西洋人が撮ったものかもしれない。直感的にこう思った。その推理は半分当たっていた。
監督はドイツ留学中のモンゴル人女性と、イタリア人男性の2人。彼らが卒業制作として作ったのがこの映画だという。
映像は、白いラクダの子が母親のお腹の中から出てくるところから、母親に拒絶されるところへと、順々に進んでいく。
先にシナリオがあったとしたら、とても白いラクダが生まれてくる映像なんて撮れないはずだ。それがずっと疑問だった。見終えてからDVDに収録されている監督インタビューを見ると、どうやら「子を拒絶するラクダへの音楽療法」という構想だけはあらかじめあったらしい。
監督は「私たちは運がよかった」と言っている。つまり、恐らくたくさんの出産を撮影しつつ、母親に拒絶されるラクダの子を待っていたのだが、その年最後に生まれた子がちょうど母親に疎まれたというのだ。
しかしなぜそれが白い子だったのか。運がよかったというのはそれが白い子だったからなのかどうか。そこまでは分からなかった。
さらに、バックミュージックというものがほとんどないこの映画で(この映画はドキュメンタリーなのだという。しかし登場人物はきちんと自分自身を演じている)、療法としてラクダに聞かせる歌声が実にいい。そして、母ラクダがはらはらとこぼす涙・・・。
一体母ラクダに何が起きたのか。
遊牧民の伝統と知恵について感嘆の念を抱き、自然の神秘を感じずにはいられない作品だった。
by sawakon29
| 2011-08-09 23:38
| モンゴル